芸術家







何か大きいもの、無限なるもの、神を感じさせるものが欲しいという気持ちになったら、遠くに探す必要はない。大海よりもっと深く、もっと無限で、もっと永遠なもの、それを朝目覚めて、揺り籠に射し込む優しい日の光に歓声をあげたり笑ったりする、赤ん坊の目の表情の中に見たように思う。


彼は一本の草の芽を研究しているのだ。しかしこの草の芽は、彼に全ての植物をそうして四季を壮大な風景を描き出させ、ついには色々な動物、それから人間の姿を描き出させるようになる。




神と共にあって苦しむことは、神なしに生き、まして神なしに苦しむよりも、常に勝った運命であるという思いを、絶えずはっきりさせておかねばならない。


一切の仕事が、神を離れては困難であり、神と共にあれば一切が可能である。


何事につけても「自分はそれを失った」と言ってはならぬ。「自分はそれを返した」と言うべきである。


愛がなければ真の幸福はなく、愛があれば、全くの、永続的な不幸などは決してありえないからである。


愛がなければ、この世界は、どんなに多くの自然美や芸術や学問が存在していても、まことに惨めな、不満足なものにすぎないだろう。人間は賢明であればあるほど、ますます強くこのことを感じ、いち早くそれがわかるに違いない。


愛に対しては、人はただいつも心を開いていさえすればよい。愛は神の霊としてこの世界に満ち満ちている。ところが我々は、愛に対して我々の心を閉ざす力をも持っており、長い年月の習慣からと遺伝的素質の結果、絶えず多かれ少なかれ、愛を拒んでいる。我々は愛を学び練習しようと努力する必要はない。ただ誤った哲学や狭い享楽欲によって、愛に対して心を閉ざしさえしなければよいのである。


最も大きな決心や行為をするのでさえ、ごく短い時間しか要しないことが少なくない。


あなたは絶えず、そしてできるだけ多く、愛の種を蒔かねばならない。あなたが学校教育を終えた後は、それがあなたの生涯の仕事である。
全ての種が芽を出すとは限らない。といって、全ての種が、石ばかりの地面に落ちて無駄になるわけではない。


あなたが教えることを実行するように努めなさい。


自分の不幸のために、他人を責めるのは、無教養者の仕方であり、自分を責めるのは、初学者の仕方であり、自分をも他人をも責めないのが、教養者の、完全に教育された者の、仕方である。


静かに真理を語れ。少なくとも、あまり激越的な論争的な調子でなければ、それで結構である。


我々はこれまで常に神の御手の中にあったし、これからも永遠にそうである。この考えを抱くかぎり、死と呼ばれる滞在地の変更は、その重大さと恐ろしさを失ってしまう。


神から託されたことをただそのまま語り、それより多くも少なくも語らないように心がけねばならない。


ある人の生涯における最大の日とは、その人の歴史的使命、すなわち、神がこの世で彼を用いようとするその目的が明らかにわかり、また、これまで彼が導かれてきた全ての道がそこに通じているのを悟った日のことである。

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