実に天下に新しき何物もないという諺を思い出すと同時に、また地上には古い何物もないということを痛切に感じさせられたのであった。


問題は畢竟科学とはなんぞや、精密科学とはなんぞやということに帰着する。しかしこの問題は明らかに科学の問題ではなく従って科学者自身だけでは容易に答えられない問題である。


今われわれがルクレチウスを読んで一笑に付し去るような考えが、百年の後に新たな意味で復活しないとだれが断言しうるであろうか。


私はこの書に結末らしい結末のない事をかえっておもしろくも思うものである。実際科学の巻物には始めはあっても終わりはないはずである。


ルクレチウスの書によってわれわれの学ぶべきものは、その中の具体的事象の知識でもなくまたその論理でもなく、ただその中に貫流する科学的精神である。この意味でこの書は一部の貴重なる経典である。もし時代に応じて適当に釈注を加えさえすれば、これは永久に適用さるべき科学方法論の解説書である。またわれわれの科学的想像力の枯渇した場合に啓示の霊水をくむべき不死の泉である。また知識の中毒によって起こった壊血症を治するヴィタミンである。