孔子




和辻哲郎
彼らが人類の教師であるのは、いついかなる社会の人々であっても、彼らから教えを受けることができるからである。事実上彼らの教えた人々が狭く限局せられているにかかわらず、可能的にはあらゆる人に教え得るというところに、人類の教師としての資格が見いだされる。


中島敦
大きな疑問が一つある。子供の時からの疑問なのだが、成人になっても老人になりかかってもいまだに納得できないことに変りはない。それは、誰もが一向に怪しもうとしない事柄だ。邪が栄えて正が虐げられるという、ありきたりの事実についてである。




学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆うし。


朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり。


徳、孤ならず、必ず隣あり。


君子は和して同せず。小人は同じて和せず。


巧言令色、鮮きかな仁。


人の己を知らざるを患えず、己れの人を知らざるを患えよ。


故きを温ねて新しきを知る。もって師となるべし。


賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に省みる。


君子は諸を己れに求む、小人は諸を人に求む。


知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は慴れず。


後生畏るべし。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。


訴えを聴くは、吾れなお人のごときなり。必ずや、訴えなからしめんか。


吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰えず。


未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん

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