キリスト教




死について考へ殊に死の必然性を知り死を覺悟することは人間の貴き特權と考へられる。死の意義ほど自己について深く省察する人にとつて重大なる問題は少いであらう。





もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい


もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい


もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう


もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい


あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。


狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。


地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。


だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい


ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか


カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい


他人を救ったが、自分自身を救うことができない


人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか


自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ


わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人々に言うのである


あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい


あなたがたは、なぜ正しいことを自分で判断しないのか


自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう


わたしはこの人になんの罪もみとめない


父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです


昼間あるけば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである。しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、光がないからである


わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである


わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける


真理とは何か


主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する


真理を語ったために、わたしはあなたがたの敵になったのか


光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである


わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。





人間の生き様というのは、狂気の戯れ以外の何ものでもない。


人間の精神は、真実よりも嘘によって、はるかにわけなく捕えられてしまうようにできあがっているのです。


狂人だけが、他人を傷つけずに真理を語る特権を持っている。


本当に神が存在するのか?

本当に神が創造したのか?

悪魔の名の下に殺された人間よりも、

神の名の下に殺された人間の方が多い。




キリスト者は、自分自身の内に生きるのではなく、キリストと自分の隣人とにおいて生きる。すなわち、キリストにおいては信仰を通して隣人においては愛を通して、生きるのである。彼は信仰によって自分を超えて神へと昇り、神の所から愛によって再び自分のもとへと下り、しかも常に神と神の内にとどまる。


私達はみな死に定められており、誰も他人に代わって死ぬことはありません。各自が各自で、死と戦わねばならないのです。


聖書に記述されていないことを認めるわけにはいかない、我ここに立つ。それ以上のことは何も出来ない。神よ、助けたまえ。



免罪符を買っただけで、人は救われない。

人の罪はそれほど軽くない。

生涯をかけて罪を償わなければならない。

ただ、ホモビデオに出演すれば即座に償える。

(新たな罪ができると思うんですがそれは・・・)





神は全ての人間を平等な状態につくったのではなく、あるものを永遠の生命へ、あるものを永遠の断罪へと定めた。

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